もはや生活の一部となった新たな趣味「陶芸」。
今週土曜日は待ちに待った「陶板」を制作します。ウヒョー楽しみだな!

この間の窯出しの日、実は窯出し以外の貴重な体験もさせていただいたんです。 そのお話をしたいと思います。

慰霊の地蔵2万体を制作。宮城に安置し後世へ

2014年3月、東日本大震災から4年が経過したこの日、東京は昭島市の渋谷太郎陶芸家が犠牲者の霊を慰めようと、3年半がかりで制作に取り組んできた陶器製の地蔵が約2万体に達したという記事が各種メディアで取り上げられた。
2014年3月11日 読売新聞

地蔵は高さ約10センチ。信楽焼きで知られる滋賀県・信楽の土と、八王子市で採れた粘土を練り混ぜて、渋谷さんが陶芸教室を開いている観光施設「夕やけ小やけふれあいの里」(八王子市)の窯で焼き上げた。

手作りのため一体一体の表情が違い、焼きあがった色合いにも個性がある。 4昼夜かける窯入れを8回行い、これまでに約8万体が完成。残る約2,000体も6月下旬には焼き上がる予定だ。

報道で知った震災による死者・行方不明者、震災犠牲者と同じ数の地蔵を作り、地蔵堂に安置するという。 渋谷さんが地蔵を作り始めたのは、震災から約4ヶ月後の2011年7月頃。門下生との間で 「犠牲者一人ひとりのためにお地蔵さんをつくり、慰霊できないか」との話が出たのがきっかけだった。 その後は地蔵作りを活動の中心に据え、門下生らの協力を得ながら制作を続けてきた。

犠牲者の数があまりにも多く渋谷さんは「本当に完成できるのか初めの頃は半信半疑だったが、震災のニュースが表れる度に、一日も早く慰霊したいという気持ちが高まっていった」と振り返る。

2年前、1万体を超えたのを機に、知人でもある高幡不動尊金剛寺(日野市)の川澄祐勝貫主(84)に、地蔵を安置できる寺院がないか相談をした。川澄貫主は「この善意をなんとか成就させてあげたい」と真言宗智山派総本山(京都市)や被災地の寺院に働きかけ、昨年11月に宮城県名取市「観音寺」が安置先に決まった。

仙台空港の近くにある観音寺は、津波で本堂と地蔵堂が流された。仮本堂は再建されたが、地蔵堂は手付かずのままだった。新しい地蔵堂は、震災から5年の節目となる来年3月に完成する予定という。

高幡不動尊では、今年1月から檀家や参拝客らに協力を呼びかけ地蔵に納入する供養文を一体2,000円で受け付けている。2月末で既に5,700体分を超える申し込みがあった。今後、和紙に書かれた供養文が納入され観音寺に送られる。

参拝客らが納めた供養料は全額、地蔵堂の再建に充てられる。

渋谷さんは「復興が進む一方、まだ行方不明の方もたくさんいる。今後完成する地蔵堂が全ての犠牲者を慰霊するとともに、忘れてはならない震災の被害を後世に伝える場所になれば」と願っている。
正にこの、陶芸家の渋谷先生が私の通う陶芸教室の先生であります。
そして供養文を納入した地蔵2万体を、宮城県名取市へ梱包し発送するといった作業を、窯出しの後お手伝いさせていただきました。まさかの超貴重体験。こんなことになるなんて思ってもみませんでした。

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これが渋谷先生が2万体作られたお地蔵さんです。

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全部仕上がりが微妙に異なり味わいがあります。
そしてこの中に供養文が納入されています。

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お地蔵さんを一体一体丁寧に箱詰め。

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緩衝材もたくさん入れて衝撃で割れないようにフォローをしていきました。
この作業をひたすら日が暮れるまで門下生の皆さんと行って、時間内に第一便分は全て準備完了。

2011年3月11日、東日本大震災発生直後、テレビで見た映像にものすごい衝撃を覚えたはずなのに、震災が起きてからまもなく5年経つ今、記憶の奥底にその時得た衝撃が仕舞われてしまっていました。

お地蔵さんの発送作業は突発的に発生したものでしたが、背景を知れば知るほど作業に重みを感じるようになり、終わりの頃には渋谷先生への感謝の念しかありませんでした。

あの衝撃と恐ろしさを忘れてはいけない。

今でも苦しんでいる人がいる。

改めて心に刻む時間になりました。


後世に何かを伝えたい=何か形に残す必要がある

渋谷先生は、あの震災の悲惨さを後世に残したい思いでこのお地蔵さん制作を始めました。直接お話しを聞いた時もおっしゃっていましたが、
「結局、義援金はどこに使われているかわからないし、何か形として残さないとダメだと思ったんだよ」
ぼくの震災の記憶が薄まってきていたように、結局人間の記憶メモリーには限界があり、ずーっと記憶されていることなんて僅かなんだということです。 いくら恐くても時が経てば忘れてしまう。これが人間なんですよね。

要は、渋谷先生がお地蔵さんを作ったように、何かを残したいならば、やはり形に残すべき。形があるからこそ後世にも受け継がれる。 今この記事を書いているのも正にその考え方・哲学の上に成り立ちます。 やっぱりそうなんですよ。

こうして考えてみると「何かを残す活動」は大切な社会活動と言え、後世に何かを伝えてくれます。ぼくもブログを始めた根底にはこれがあるし、コンセプトです。自らが得たノウハウ・情報をきちんと残し、僅かでもいいのでぼくが執筆した内容を参考にしてより良い人生を過ごしてくれたらいいなと。

決して嘘ではありません。この際、包み隠さず書いておきます。

「後世に何かを残したい。だからぼくはブログを書くんだ。 」

渋谷先生という人間国宝から陶芸を通して沢山の教養も学びとっていきたいと思います。

それではー!